第1章
私が取り組む親子支援活動の原点

突然ですが、私の妹は産まれながらに重度の障がいがあります。

普通なら、障がいについては親から教えられたり、学校で学んだりする方が多いかと思います。しかし、両親は私に特別な説明をすることはありませんでした。妹がいわゆる普通の(多数派の)子達と違うことは、妹の成長と共にはっきりしていきました。同時に、小さな田舎の街では妹に対する周囲の目が厳しく、残念ながら、私たち家族は差別や偏見の対象になることも多々ありました。私は、そのような厳しい現実も含めて妹のことをゆっくりと理解しながら育ちました。

母はどんなときも私たち姉妹にとても明るく、前向きに接してくれました。

厳しい環境のなかにあっても、母は私たち姉妹に沢山の愛情を注ぎ、多くの経験を持たせることを大切にしてくれました。そして、妹の障がいを一切隠すことなく生活しました。すると、障がいを受け入れてくれる人や私たち家族に協力してくれる人が少しずつ増えていきました。そのなかには、親子をサポートする深い知識を持った小児療育園や養護学校、支援活動の方たちがいました。私はその人たちと一緒に「親と子の関わり」に関する様々な経験を積む機会に恵まれながら成長することができました。私自身の価値観や人格を形作ることに対して、とても大きな影響を与える経験ばかりだったのです。

 優しさと強さが溢れる母も、当然一人の女性でした。

ある時には、母が人知れず涙を流している姿を私は見ていました。子どもながらに「母親とは強く優しく、そしてとても弱いものだ」と感じていました。同時に、周囲の人達に対しては「人は時に残酷で、知らないものに対しては恐れを感じるものなのだ」と学びました。当時は障がい者に対して正しい知識がなく、誤った理解を持っている人が沢山いました。身内から距離を置かれ、障がいを隠しながら生活する家族にも出会いました。これらの経験は、子どもの私にはとてもショックなものでした。これらの経験を経て、私は少しずつ「親には支えが必要である」ことを理解していきました。

時は経ち、私は妊娠・出産をし、母親になりました。

母親として子どもを授かった喜びを感じると共に、自分のキャリアについて悩み、苦しむ経験をしました。自分が母親になって、子育てとはなんて大変で孤独で辛いものなんだ…と、涙したことが沢山あります。特に、乳幼児期の子育ては大変でした。しかし、それ以上に子育ては楽しく、子どもは愛おしく、子どもを授かることでこんなにも私の見える世界を彩り豊かにしてくれるものかと感じる毎日でもあります。子どもたちと生活をしながらジェットコースターのように過ぎる日々を、私も皆さんと同じように泣いて笑って過ごしています。そして、自分がいま親となり、自分と母を重ねながら幼少期を振り返るなかで、改めて「親には支えが必要である」ことを認識させられました。

現在の活動の原点は、 "母と妹" です。

子育ては、親である私たちが自分自身と向き合う時間でもあります。その時間を通して、我が子だけでなく、”これから先の未来を担うすべての子どもたちのために自分が社会にどう貢献できるのか”、という問いにたどり着いて欲しいと思います。子どもは国の未来そのものです。その子どもを育てる親が自身としっかり向き合い、そして子育てをする親こそが笑顔でいなければいけない、と気がついて欲しいのです。親の笑顔は子どもの笑顔を増やし、そのさきには家庭の笑顔、そして地域の笑顔へと広がります。人はひとりでは生きていけません。地域コミュニティで助け合い、分かり合えることで、みんなが笑い、幸せを分かち合える — それが子どもの頃の経験であり、母と妹が教えてくれたこと、そして私の活動の原点です。

私たちは子育てにまつわる様々な課題を解決し、親子が物心共に豊かに生活できる街作りの一助となれるよう、親子の支援を進めて参ります。

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